ぱち、ありがとう

2018年7月11日AM11時50分頃、動物病院にて家族であるマメルリハインコのぱちが天国へいきました。4歳1ヶ月でした。

まだ気持ちの整理がついていません。家のあちこちにぱちの生きてた証があって、目を背けたくなる反面、実は生きててお気に入りの場所でかくれんぼしてるのかと探してしまいます。そして、やっぱりいなくて、涙が溢れます。ぱちは、死んでしまったんだと。仏壇にあるぱちの遺影をみて、そこにある「不在」と「死」を改めて思い知らされます。

 

ぱちとの出会いは里親募集のブログでした。

ずっと欲しかったマメルリハ。横浜と遠い距離だったけど新幹線で弾丸お迎え。初対面はクリアケースに入っててはじめての外出にも関わらずのんびりしている様子で、里親様も「この子すごく肝が座っててマイペースみたいです」と言っていました。その通り、成長していってもぱちは自分のペースで物事を考えるわがままっ子で少しのことでは驚かない貫禄ある男の子になりました。

 

雛から育てたのははじめてではないけれど、ぱち以上に日々の成長に感動し喜びを覚えたことはないです。今日は昨日よりこちらを見てくれるようになった、手のひらで落ち着くようになった、はじめて自分の口でご飯を食べた瞬間は泣きながら喜びました。ケージからはじめて自力で出た時、翼を広げて少しだけれど飛んだ時、今でも強く強く脳裏に焼き付いている瞬間です。

 

元気に成長していったぱちは健康診断以外、病院のお世話になったことがありませんでした。少し太り気味でダイエットはしていたけれどぱちは元気のかたまりで、私たち家族にたくさん笑顔や元気をくれました。うちの元気担当でした。悲しいことがあっても辛いことがあっても、ぱちの声を聞けば嫌でも笑ってしまう魔法の子。「声」というのはどれだけ人に影響を与えるものなのか、涙が出るほどに痛感しています。朝に聞こえる「おはよー!」「こっちおいでー!」「ぱちぱちぱち!」という元気な鳴き声が聞こえない日がくるなんて思わなかった。ぱちの声が響かない家は受け入れがたく、静寂がぱちの不在を突きつけてきて涙がポロポロでてきてしまう。止まらない涙が余計涙を誘っていつになったら枯れるのか分からない。どうしてぱちの声がしないのか、どうしていなくなってしまったのか、私はなぜこんなことをしてしまったのか、どうしてもっと早く対処しなかったのか、たらればのもう変えることのできない結末を悔やむ思考がずっとぐるぐると回っています。

 

いたずらっ子で壁紙はかじるし、紙類もすぐ試食するしビニールのガサガサが大好きで噛み付いてくるし、自分より大きいものでも軽く放り投げてドッタンバッタン、ぱちのおもちゃはそこらじゅうにあって、とくに好きなキッチンは家族ではパチランドって呼んでました。ダメなものは食べないようにさんざん注意していた習慣がいまだに抜けず、「もう必要ないのか」と気づくと心にあいた穴が突然広がって暗闇に放り込まれたかのような寂しさが襲ってきます。

 

そんな元気いっぱいで病気知らずだったぱちの食欲が少しずつ減りました。朝のおしゃべりも減りました。ここで病院へ行けばと何度も後悔しています。暑くなりはじめ体重も変わらず元気だったもので、夏バテなのかな?と様子をみていましたが突然、糞をしなくなりました。午前中まで普通だったのに。明らかにおかしいと思ったのはもう夕方すぎ、ほとんどの動物病院は閉まる時間です。そして小鳥を診ることのできる病院はとても少ない。あちこちに電話しても断られ、遠い名古屋の夜間救急に駆け込みました。やはりここも専門ではないため、原因は追求できないと言われました。ここではあまり言いたくないですが、正直いって信用できるような獣医師さんではありませんでした。ぱちは、死ぬかもしれないねと言われながら2本の注射に耐えました。本当に頑張った。その後夜中に帰ってきて寝ずにみていましたが注射や夜間の外出のストレスか、まったくぱちは寝ていませんでした。いつもなら床でぐっすりなのに。そんないつもを奪った自分を責め、少し泣きました。元気になるまでは泣かないと決めたのに。

朝になり、小さなケージに入れ替え朝一で小鳥を診てくれる病院へ行きました。朝よりも元気はどんどんなくなっていって、声をかけたら「ぴぃ」っていうくらい。辛いんだと伝わりました。朝一で行っても待合室の患者は多く、1時間ほど待って診察してもらい、ぱちはかなり状態が悪くなっていました。朝は歩いていたのに立つのも辛そうで。酸素吸入して保温しても回復しませんでした。糞からは出血が見つかり、酷い胃腸炎を起こしているようでした。消化器系がズタボロだと。顕微鏡で見せてもらった真っ赤な血が忘れられません。

「申し訳ないですが、積極的な治療はできないです。決断してください。」と言われ、付き添っていた母は泣きながら治療室から出ていきました。私がいない間はずっとぱちの面倒をみておそらく私より母のほうが過ごした時間は長いです。母の髪の毛が大好きで眠たくなると髪の毛の中にもぐっておやすみしていました。母からぱちを奪ってしまった責任も、とても重く感じています。

酸素室から出すと死んでしまう、でもこれ以上辛い思いはさせたくない、決められなくて、頼りない飼い主でした。「ぱち」って呼んだら、もう立てない身体を全身で必死に引きづってこちらへきてくれました。必死に我慢していた涙がとめどなく溢れ出し、そこから、あまり記憶がありません。突然先生が蓋を開けてぱちの瞳孔をみて、聴診器をぱちの胸へ当てました。

 

「ぱちくん、心肺停止です」

 

そう先生の口からはっきりと聞いて、ずっと我慢していた涙が出てるはずなのにその奥からもっと大きな感情が溢れ出るみたいに大粒の涙がこぼれて、動かなくなったぱちを抱きしめて、ごめんって何回も謝って、過呼吸おこして、しまいには倒れて、動物病院のスタッフの方々に迷惑をかけてしまいました。

信じられなかった。ぱちがいなくなるなんて思いもしなかった。命は永遠じゃないのはわかってる、でも明日も、1年後も、寿命を全うするまでぱちはそばにいてくれるものだと信じてた。こんな結末考えもしなかった。それでも目の前にいるぱちは生きてはいなかった。

 

帰宅して目が腫れるまで泣いても止まらない涙。帰り主がいないからっぽの鳥籠、もうねだられることのない餌の瓶、目に入るだけでそれがすべて涙になって出てきました。

病院の先生は「インコは本当にギリギリまで体調不良を隠すし、症状も水面下で進むんです。その中でもとくにぱちくんは我慢強くて強い子だった」と言ってくれました。憔悴していた私へ気遣ってくれた言葉だとは分かっていましたが、自分を責めずにはいられませんでした。それでも隠すのを見抜くのが飼い主の務めなのだと思っているんです。人間のように強くなく小さな命。それでもサインは必ずあったのに、私は気づいててことの重大さをはかり間違えた。

動物を飼っているすべての方、少しでもいつもと違えば、病院へ行ってください。それはその子の小さな小さなサインです。手遅れになる前に、健康診断だと思って受診して下さい。分かってるよって思ってた私がこうなりました。

 

次の日の朝、野生の鳥の声で目が覚めました。頭が痛いのと、ぱちにはこないのに自分には朝がきたことに罪悪感でいっぱいになりまた泣きました。何もしたくない、悲しみから逃れられない状態で仕事やジムで運動するのが本当に辛かったけれど、少しでもいつも通りの自分でいたくて立ち直れないながらも落ち込む自分を叩きつけて動きました。ペットロス、なんでしょうか。分からないです。今まで楽しんでいたものが何も楽しいと思えなくなりました。食欲も減り、積極的に運動するのも億劫になり、携帯を触る気力がない。もともとうつ病を持っているから症状が出たのかもしれない。とにかく次の診察で相談するつもりです。

 

ぱちは、7月13日の10時に、火葬をしました。

はじめてのペット火葬、私のエゴかもしれませんがそばにいてほしかったのでインコでもお骨が残るようなところを選びました。

季節も暑いため、少しでもぱちのままでいられるよう辛いけれど早めに行動しました。火葬当日、空は晴天、ぱちの羽のような綺麗な青瑠璃色。ひとつだけひこうき雲が一直線に渡っていました。そこで元気に飛んでいるんだね、とまた泣きました。

お骨上げもさせていただき、ひとつひとつ、丁寧に説明を受けながら納骨しました。その後家にて管理するためパウダーにしてもらい、小さな身体が本当に本当に小さくなって手元へかえってきたとき、少し自分の気持ちが救われたような、一区切りついた感情になりました。帰宅し、家族が1番集まる所へお仏壇を置いて餌やお花をお供えしました。遺影は、私のお気に入りを選びました。

 

今日で初七日を迎えましたが、まだ悲しみは尽きません。気が緩むと涙が出るし、乗り越えられると思えない。本当に死んでしまったのか半信半疑のままです。あっという間に1週間で、まだこれからを考える余裕はないです。でも、供養はしっかりできるようにするつもりです。

 

今回のことで、ネガティブな思考が増えました。それでも、「私も死にたい」と思わなかったのは「虹の橋」という詩を読んだからです。ペットロスになった飼い主へ向けたものですが、読んで涙が止まりませんでした。そうか、私は私の人生を全うして、それを笑顔でぱちに、今までの小さな家族たちに教えてあげなくちゃいけないんだと。一緒に生きることができないのは悲しいけれど、私の全力で生きた人生を天国でたくさん話したいと思ったから。悲しいだけのお話なんて困らせちゃう。いつまでも泣いてたらぱちは虹の橋を渡れないと思ったら、少しずつでも前を向いていこうと思えました。

こちらリンクです。良かったら動物を飼っている方に、ペットロスで悲しんでいる方に、読んでほしいです。

虹の橋とは?ペットロスを癒す素敵な詩があった | Petpedia

 

ぱちは、本当にいい子でした。

家族で、家族の支えで、光でした。

たくさんの思い出、幸せ、あたたかい心、笑顔をくれました。ぱちとの4年間はキラキラした宝物です。何にもかえられない宝物です。

ぱち、幸せだった?私が飼い主で良かったかな?楽しいと思った瞬間がたくさんあれば嬉しいよ。不甲斐ない飼い主で本当にごめんね。また生まれ変わったら家にきてね。そして私が天国に行った時、ぱちがいなくなってどれだけ泣いたか教えてあげるから。泣きすぎだよって呆れてね。できるだけ楽しいことを抱えて虹の橋の入口にいけるように、私は生きることを、前を向くことを諦めないから。今は悲しくて泣いてるけど、笑えるようになるから。

今までありがとう。うちにきてくれてありがとう。たくさんの贈り物をありがとう。あなたのすべてにありがとう。ダイエットしてたし、天国では大好きな麻の実たくさん食べてね。大きな空を目いっぱい飛ぶんだよ。たまに下にいる私たちを見守っていてください。そうしてくれるだけで、私たちは力が沸いてくるから。またぱちに会えるその日まで、精一杯生きるから。

心から、愛しています。

安らかに眠ってください。

ありがとう。

 

 

f:id:pachiruriha63:20180716181137j:image

 

2018.7.17